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ランログ

ランニングのためのログと日記。

『ラ・ラ・ランド』観た

元カノと観に行った。音楽が素敵だった。ダンスが良かった。エマ・ストーンが可愛かった。表情とか動きとかとにかく可愛い。好きなもの(監督にとってジャズ、ダンス、ミュージカルとか)を本気で扱ってる感じがいいなと思った。情熱を感じた。どうだい、かっこいいだろ? ってプレゼンされてる感じ。

あと色彩がキレイだった。日没、星空、空の青、そして黄色いドレス。澄んだ青に赤が混じって紫になる空。最近の私のブームというのもあるが、どうも青系の色合いに引き寄せられまくる。

終始ハッピーな映画だったと思う。あの結末はどうなん? って意見はあろうが、それを含めてもハッピーだった。そうそう、ハッピーなんだよ。なんかハッピーハッピー言ってるけど、まあハッピーでいいと思う。

恋ってハッピーだし、音楽ってハッピー。恋人と過ごす時間ってハッピーだし、ケンカするのだってハッピー。才能が評価されるのも、妥協を強いられるのも、大きく挫折するのも、それを糧に奮闘するのも、運の神様に助けられるのも、見放されるのも、そして愛する二人が決裂していくのも。そんな不幸さえ、なぜかハッピーな感じがした。

で、ふと考えた。

きっとこの監督は、一生懸命生きることを肯定的に描こうとしてるんだろうなあと。
生きているといろいろ上手くいかないことはあって、だからまあ、責められないさ。結局、どんな結果になろうと肯定することしかできない。それゆえハッピーさがあふれていたのかなあと。

映画の二人は、別々の道を歩むことになった。

映画終了後、その結末に納得がいっていないのであろう愚痴が聞こえた。切ない、報われない、アレはない、などなど。元カノにいたっては腹を立てていた。そう思う気持ちもわかる。わからんでもない。
でもさ。最後に、エマ・ストーンの見せた笑顔。あれで許してくれまいかと思う。なんか、全部報われた気になるんだよね。主人公のジャズマンの生き方を肯定してくれてる感じがして。

人間誰しも、誰かに認められたいと思ってる。その認められたい誰かというのは、潜在的には母親的な存在で、母親から無償の愛を受けてない子は歪んだりするらしい。ともかくさ、褒めてほしいわけさ。人がなんかいろいろ変なことしだすのは。

男というのはアッホい生き物なので、ちょっとすごいことをしたら褒めてもらいたくて、すごいじゃんとか、偉いとか言われたくて、むしろそれだけでいいのさ。とりわけ好きな女の子から認められたら、あとはなんにもいらない。

そんなわけで、ちょっと強引なんだけど、最後のアレでよかったやんけと思わされた。そんな気がして、観終わってすぐはしんみりしてしまった。まあ、でも本当は、二人で幸せになってほしかったけどね。結婚しても上手くいかなかったような気もしたけどさ。

ちなみに元カノは、結婚せーへんのかいという展開、別離の経緯をすっ飛ばした演出、この2点を非難していた。で、同じ良くない例として『シガテラ』を挙げた。

で、後日、古谷実ファンながら未読だったので、『シガテラ』を読んでみた。感想としては、概ね世間的な評判と一緒だと思う。元カノの意見にも同意しまくり。まあ面白かったけどあの終わり方はないよねって感じ。

しいて推論を展開するなら、『シガテラ』は、男が求める完璧な女性像として南雲さんという存在を描きたかったのだろうなあと。

荻野くんは隙だらけで、ださいとこ弱いとこを全部見せて、それで好いてもらおうなんて傲慢以外の何物でもないのだけれど、それでも南雲さんは受け入れてくれる、それどころかますます好いてくれる。まるで母のように無償の愛をくれる。いじめられていても、バカでも、エロいこと考えてても、いつだって味方でいてくれる。現実的にそんな人はいない、こともない。

ここで一つ問いたい。

恋とは何か?
私が知ってる答えは、そう、あれは魔法だ。魔法がかかっているうちはなんでもよく見える。荻野なんてクソへっぽこボーイでもイケメンに見えたりする。そういうもんだ。私が敬愛してる水野敬也も言ってた。水野氏(スピードスケートの清水選手系の顔)は、付き合ってた女性にトム・クルーズに似てると言われたらしい。
ともかく、それはいつまでも続かない。魔法は切れる。一説によると一年半とか。長くて七年とか。南雲さんがすべてを受け入れてくれるマザーとしていられたのも数年。物語の中では6年かな。
だから愛する二人は実利で結びかないといけない。そうでないと二人は長続きしない。お金、子供、そういうかすがいが必要になる。
そう思うとこわい。恋って危うい。

『ラ・ラ・ランド』と『シガテラ』は似ている。元カノの意見のように、別離の真相を明らかにしてない点でどっちも卑怯だ。『シガテラ』に至っては、なんの予兆さえ見せてくれなかったから、ただただ煮え切らん。そして両作とも、おそらく主題として恋の危うさを描いてる。でもその危うさを肯定してる。恋するのって素敵でしょって。
だから、別れの理由なんて些細なことだから触れなくもいいのかな、とも思う。

だって、どうせ下らないことなのさ。きっかけはどうであれ、魔法が解けたってことなんだから。

でも、これは男性的な見方だろうな。