有名な人が刺されて死んだ

ださいことを正直に吐ける場所が必要だなと思った。ここはそうやって運用したい。とにかく自己と向き合う。

嘘は書かない。面白いを狙わない。

 

俺はいますごく寂しくて、お酒を飲まなくてやっていけないような精神状態で、それがここ何年か続いている。


この状態をポジティブにとらえるならば、お酒の優しさに気付けたなあと思う。これは純粋に嬉しく思う。強がりではない。

中島らもさんとかフィリップ・マーロウとか、そういう孤独なかっこいい男(実在・非実在の人物をいっしょくたにしています)がなにゆえ酒を愛したか。その本質的なところに、ようやくタッチできたような気でいる。酒は孤独を慰撫してくれる。だから優しい。

慰撫じゃないな。

たぶんだけど、孤独な自己は自己を攻撃するのさ。夜になるとね。だから必然、酒を飲まざるをえなくなる。仕事をしているとき、酒を飲んでるとき、それ以外の時間帯は自己が自己を攻撃してくれる。それゆえに、孤独な人は酒を飲むのかしら。

 

今日、俺、誰かと会話したかな。自問するが、まあ仕事に関する話くらいはしているけれど、それ以外の話は一言も発していない、という結論に行き着く。

 

俺は誰か。

俺は何が好きか。

俺はどういうことに興味があって、どういうことに苦しんでいてどうしたいか。

誰も知らない。

誰も興味がない。

 

じゃあ逆に問うが、俺は誰かに興味を持ってあげたか? 答えはノーだ。俺は行動しない。責任を回避する卑劣なコメンテーターにすぎない。

コメンテーターという単語。なんか印象に残ってんなと思ったら、最近メルカリの記事で読んだんだ。批判ばかりして、行動を起こさない非生産的な人材を指してそう言っていた。そうはなりたくないなと思いつつも、俺はそうなっていて、そのことに気づいていないわけだ。

 

よし前に進もう。


今日悲しい記事を読んだ。ほんとは悲しくなかった。とある有名ブロガーが刺されて死んだ。


最初はざまあみろと思った。

 

俺はインフルエンサーを生理的に嫌っていて、気味悪さを感じていたから、ほら見たことかと思ったんだ。

目立とうとして、煽って、他人の感情を逆撫でて、そして刺されて死んだ。

 

因果応報だ。

 

でも、そうじゃなかった。彼は死ぬべき人ではなかった。取り返しの付かないことというのはとても悲しい。

救いがない。

以下、比類なき名文だと思う。

ezkay.com

書きながら、感情が変異、覚醒していく。

怒りから悲しみ、そして愛情というのかな、なんかそう言っちゃうと軽いけど、本当の思いに気づいていくのだ。

 

あ、この人のこと好きだったんだ、すごく。どうしよう、辛い。

 

取り返しのないことは悲しい。失って初めて人は気づく。俺も気づいた。あの人は死ぬべきではなかった。